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早春のソウル7 ----- Original Message ----- おばんです、弘前の石田@議論白熱の中にノーテンキの遊びネタは出しにくい、です。 おずおず。 精やん wrote そう、韓国の高速道路は怖いですね。まず、インターチェンジやサービスエリアから入ってくるアプローチが短い。ほとんどT字路の感覚ですね。合流できずに、アプローチと本線の境界で停車して車が切れるのを待っているやつが結構います。 ところどころ、中央分離帯がなくてUターン自由の所もある。ま、これはまさかの時には戦闘機や輸送機の滑走路として使えるように、と言うことらしいけど。 それに、一般道でもそうだけど、まだまだ車優先で、しかも、先に鼻先を突っ込んだ方が勝ち、という交通ルールなので、バスやタクシーに乗っていても実に疲れます。 ^^; でも、昔に比べると、年々良くなってる気がしますね。 で、ずっと昔って、いつ頃? 精やん。ひょっとして、セピ韓の頃? さて、昼食をおえた一行は坂道の多いソウルの街を駆け抜けて景福宮へと向かいます。 もともと、ソウルの街には坂道がなかったのだそうです。李朝がここに都を定めたとき、外敵に浸入されたときに対処しやすいように、山と川(漢江)に囲まれた平地に街作りをしたのだそうです。その当時の人口は10万かそこらで、日韓併合の時でも20万しかなかったそうです。日本当局も、人口が増えても50〜60万止まり、との予測の元に都市計画を立てたのだそうです。 それが現在では1000万ですから、やむを得ず、周囲の盾にする予定だった山や丘に街が伸びて行って、現在のように坂道の多い大ソウル市になったわけです。 というわけで、景福宮へと着きました。私は、過去30年にわたって何回も来ているので、飽きてるのですが、一行の中には韓国は初めての人が半分くらいいるので、やはりここははずせません。 《景福宮にて。》
正門と王宮の間に立ちはだかっていた旧総督府ビルは今は撤去されて実にすっきりしています。ビルそのものはルネッサンス様式で大変センスの良い建物だったのですが、建っていた場所が悪くて景福宮と全然マッチしていませんでしたね。 ガイドの李さんが説明します。旧総督府ビルは上から見ると「日」の形をしている。少し離れたソウル市役所は「本」の形をしている。そして北岳は「大」の形をしている。つまり、日本人達はその当時、ソウルの真ん中に「大日本」の文字を作ったのです。 ははは、韓国のマスコミでその報道があったのは知ってますが、偶然の一致ですよ。飛行機もない時代にそんなものを作ったって、誰も上から見ることなんかないでしょうが。 と私。 いえ、日本は韓国支配の為にありとあらゆる手段を用いたのです。韓国のあちこちの山から長さ1メートルくらいの鉄の杭が何本かみつかっています。あれは風水学上の気脈切断の方法で、韓国から優秀な人材が出ないようにしたものです。と李さん。 なはは、その報道も知ってますが、あれは測量用に打ち込んだだけで、風水だの気脈だので支配しようなんて日本人は考えませんよ。と私。 いえ、違います! と李女史はきっぱり。でも、私も毎日日本のお客さんを案内してますけど、韓国での「大日本」や「鉄の杭」の報道のことを知っていたのは石田さんだけです。どうして知っているのですか? と李さん。 大々的ではないにしても、韓国の出来事は一応日本の新聞にも載るのですよ。と私。 ま、お気持ちは分かるけど、どうも韓国の方々は何か上手く行かないことがあると、全て日本のせいにしたがる傾向があるようですね。気脈切断説もIMF体制という現在の状況と無関係に出てきたものではないと私は思うのですよ。 とまぁ、楽しく論争しながら景福宮を見学して行くと、一昨年来たときは修理中だった慶会楼が修理も完成して色鮮やかに建っていました。そして、そこでは韓国のTV局の時代劇のロケが行われていました。いやぁ、珍しいもの見ちゃった。 敷地内の博物館の方へ行くと、なにやら前庭でどんちゃんどんちゃんと賑やかな音がします。近づいてみると、これが蛇踊り。 やはりあるんですねぇ、韓国にも。長崎や台湾や香港のものは見たことがありますが、韓国のものは初めて見ました。ほとんど同じですね。思わず「もってこーい」と声をかけそうになりましたですよ、宮崎さん。 ん? と言うことは、獅子舞もあるんかいな?誰か韓国の獅子舞を見たことある人いますか? ありゃ、また長くなっちゃいました。 続きはまたこの次ということで・・・ |
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