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セピア色の韓国7

-----Original Message-----
差出人 : 石田 隆章 <appleish@infoaomori.ne.jp>
宛先 : IGK FREE <igkfree@ml3.people.or.jp>
日時 : 1999年1月23日 21:22
件名 : セピア色の韓国 7
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おばんです。弘前の石田です。

さてさて、セピ韓も終盤戦となってきました。

昭和45年11月、韓国5日目の朝もまたまた快晴。韓国って、降雨量の少ないところなんですかねぇ。過去6回の訪問で雨に降られたのはたった1回しかない。この翌々年のことだったと思うけど、ソウルで例のSさんとデートしてるときに夕立に降られたことがある。

雨が降り始めると、あちこちの街角に、どこからともなく傘売り達が湧いて出てくるのに驚いた。大抵、小学校くらいの少年。1本50円くらいで、竹の骨にビニールを張っただけのほとんど使い捨ての傘だった。勿論、1本買い求めて、彼女と相合傘ですよ。雨も悪くありません。

こら、かーさん、後ろから覗き込むな。書きにくいやんけ。あ、私の味噌汁に砒素入れないでね。

えー、のっけから脱線ですね。朝食の後、昨夜ごちそうになった町内会旅行のおじさんおばさん達に礼を言おうと思ったら、もう出立した後だった。ほんとに皆さん朝の早い人達ばかりだ。いや、私が遅いのか。

午前中は昨日と反対側、つまり、神興寺の南側の方を散策してみる。十和田の奥入瀬渓流を思わせる眺めだ。こちらの方がもう少し岩がゴツゴツしてるかな。その昔、天女や仙人達がここに遊びに来た時にヘリポートとして使ったと言われる、飛仙台や遊仙台という名の平たい岩盤があって、そこから見上げる紅葉した山々は抜群だった。

また渓流沿いの茶店で栗の豆腐(結構旨い)なんかを食いながら旅館へ戻り、ソウルへと向かうことにした。終盤になって、予算が予定以上に残ったので、奮発して飛行機を使うことにした。といっても、たいした料金ではないが。

江陵空港は、というよりは、木造で質素で江陵飛行場といった感じだが、旅館街から2、30分である。飛行機はフォッカーのフレンドシップF27、高翼式双発ターボプロップ40人乗り、が標準だが、48人乗りに改装されたものだった。狭かった。

待合室で出発を待っていると、登山スタイルの学生風の男がなにやら手帳に挟み込んでいる。それなに? と声をかけてみると、山歩き中にみつけたエーデルワイスの花びらだ、と言う。いかつい見かけの割に、なかなか心優しい奴ではないか。

彼は李哲圭君といって、延世大学の学生で、年は私と同じだった。すぐに友達になって、明日ソウル市内を案内してくれることになった。私が国際親善に努めるのは、女子大生ばかりではありません。

1時間足らずで金浦空港に着き、バスで市内に入るともう夕方だった。ソウルでは奮発してホテルに泊まることにした。予算が残ったこともあるが、実はそろそろ風呂に入りたかった。韓式旅館には風呂がないのだ。風呂好き日本人にはこれがつらい。

銭湯もあるらしいのだが、日本みたいに街のそこここにあるという訳ではない。第一、この当時、こちらの人は風呂に入る習慣があまりなかった。死ぬまで風呂に入ったことがない、という人も結構いたらしい。いまはどうなんだろう。

ホテルはメトロホテルといって、ビジネスホテル級だが、明洞にあって、ロケーションが良い。宿泊料も、食事はつかないが、韓式旅館より少々高いくらいのものだった。久しぶりに風呂に入り、晩飯を食って、ホテルの周りを少し散策してみただけで、疲れもたまってきてるので、今日は早く寝ることにする。

翌日、李君の案内でソウル市内をあちこち見学して回る。皆様おなじみの所ばかりなので、いちいち書かない。印象に残ったのは、まず、この当時、戦後復興中です、という感じの場所が街のあちこちに見受けられたこと。

つぎに、景福宮の正門と王宮の間に立ちはだかる旧総督府ビルに辟易したこと。折角の景観が台無しではないか。後に、このビルは博物館になったらしいが、この当時は、なにかの政府機関が入ってて、我々は近づくこともできなかった。最近取り壊されて撤去された。今は実にすっきりしていますね。

そして、延世大学のキャンパスを見学に行って、軍事教練の様子を見たこと。同年代の学生が軍事教練に励んでいるさまは、ソウル市内でやたらと目立つ軍服姿の人達と共に、水と安全がただという世界でも珍しい国の学生にとっては、おおいなるカルチャーショックだった。この翌年、私は板門店を見学に行くが、その動機はこのカルチャーショックである。

雪岳山中で若い兵士達と。
《雪岳山中で若い兵士達と。この頃は私も75キロくらいしかなくてスマートだったんだなぁ。》

1988年のソウルオリンピックのときに、あまり街中に軍服姿が溢れていると、世界のお客様に印象が悪い、ということで、軍人は私用で外出するときは私服を着るように、というお達しが出てそれ以降はあまり軍服姿を見かけなくなりましたね。

あとは、国楽院に行ったことかな。国楽とは雅楽のことである。国楽院はその伝習所である。一日に何回か演奏がある。

日本の雅楽は、大きく分けて、「右方の楽」と「左方の楽」とがある。「右方の楽」は新羅や高麗を通って伝来したものであり、「左方の楽」は唐や宋から直接伝来したものである、と宮内庁楽部の演奏会へ行ったときに教えてもらったことがある。ふむふむ、これが「右方の楽」のルーツか。本家か。

というわけで、一日を楽しく有意義に過ごした。李君にはお礼に韓一館で夕食をおごった。ブルコギ、実に旨かった。東京に帰ってから、何回か手紙を出したのだが、筆不精らしく、一度も返事をよこさなかった。元気でいるだろうか。

さあ、明日は朝一番の特急列車で釜山に戻り、福岡経由で東京に帰るぞ。釜山空港の案内所に、Sさんはいるかな。

では、では。