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セピア色の韓国6 -----Original Message----- おばんです。弘前の石田です。 駅伝の皆様、ランナーも応援隊も中継隊もご苦労様でした。こっちでは、テレビには京都の女子駅伝しか入りませんでした。とにかく、完走そして無事故、おめでとうこざいます。これで私もおいしくビールが飲めます。(便乗するなっつーの)実際、順位は何位だったんですか? 行政書士試験合格の皆様も、おめでとうございました。檜和田さんのメアリーちゃん(だったっけ?)も喜んでますね。きっと。今年涙を飲んだ方々も、気を落とさずに頑張って下さい。来年の合格率は、きっとまた元に戻りますから。 そう言えば、今日のランナーの伊地知さんは平成6年度試験の合格だそうですね。私もです。同期だったんですね。あの年も合格率悪かったですね。確か4.42%。青森の合格者は私を入れて3人だけだった。よく私が合格したもんだ。 あの年(平成6年)の春頃、うちのヨメハンが自分当てのDM見ながら、「あたし、これやってみようかしら」と言う。 そんでもって、近所の本屋に行って参考書を何冊か買ってきて見てみると ・・・・・ 結構、難しいではないか。ここで不合格になっては、家長の権威はグチャグチャだ。結局、どんなに忙しくても1日最低1時間、できれば2時間の勉強時間を作って、10月まで半年間勉強したら、合格してしまった。40台半ば過ぎてから、生まれて初めて国家試験受けるはめになるとは夢にも思わなかった。入会登録の手続きに行った単位会事務局で、今回の合格率は史上最低だった、と聞かされ、ぞー。 でも、そのおかげでこうしてIGKの皆様とお付き合いさせて貰えることになったし、ズボンと人生の幅が、またまた広がった。人間、先のことは分からんもんですね。 さてさて、山岳租界もできたことだし、今日のセピ韓はタイミング良く、山のお話です。と言っても、私は山歩きの趣味はありませんので、あくまでも、観光地としての山です。 と言うわけで、昭和45年11月、韓国4日目の朝となりました。今日も快晴。山遊びには最高。日頃の心掛けの良い人は違いますね。あ、全員に快晴なのか。 朝食を食べて、昨日ローカル列車で知り合った、宿を紹介してくれたおじさんに礼を言おうと思ったが、もう出かけた後だった。しょうがないので、旅館の人に伝言しておくことにした。 今日は、鏡浦台、烏竹軒を回って雪岳山へ行く予定なので行き方を旅館の人に聞いたが、お前の都合に合わせて回ってくれる路線バスはない、それぞれに路線バスを乗り継いで回ってると、1日に何本かずつしかないから、今日中に着くかどうか分からん、と言う、やむをえん。ここは奮発してタクシーを使うことにした。 ところが、このタクシー、私が乗ってるのに、方角が合えば他のお客をどんどん乗せて、当たり前の料金を取っている。当時はそういう商習慣だったのだが、こちとらそんなことは知らなかったもんだから、びっくりしましたですよ。 当時の韓国を走ってる乗用車はほとんど全部コロナ1500だった。タクシーも当然そう。で、その価格が日本での2、3倍したんですね。だもんだから、こういう稼ぎ方しないとペイしなかったらしいのです。 鏡浦台は白砂青松の美しい海水浴場だが、シーズンオフなので、誰もいなかった。それがかえって静かでのどかで良かった。近くに断崖があって、半分海に乗り出すようにして小庵が建っている。小さなお寺で、名前は忘れたが、風情が良かった。中に入ってみると、床に小窓が切ってあって、はるか下の岩に波が砕け散るのが、真下に見えた。 ![]() 《渓流の眺めは抜群です。植生は日本とほぼ同じなようです。》 烏竹軒はかの大儒学者、李栗谷の生家。500年前の建物がそのまま残っている。大邸宅というわけではないが、当時の中産階級(?)の普通の民家である。ふむふむ、当時の民家はこうなってたのか。興味ある。面白い。いまでもそうだが、韓国の伝統的な家屋はみな平屋だ。冬の暖房はオンドルなので、2階は上げられないのだ。 ずっと後、ソウルの近くに民俗村ができたので、見に行ったことがある。あそこもよかったけど、所詮、人工村だ。烏竹軒は天然ものなのだ。こういうのを見ておくのと、おかないのとでは、韓国古典文学全集を読んだときの面白さが全然違うのだ。 李栗谷は、おっかさんが有名ですね。当時の女性としては珍しくインテリで、漢詩なんかも随分残してる。孟子のおっかさんや中江藤樹のおっかさんみたいに大変な教育ママであったらしい。 田舎道をガタゴト走って、雪岳山の麓へは昼前に着いた。雪岳山は、北の金剛山とならんで、非常に風光明媚な山岳リゾートなのだが、岩木山や富士山のように単独で聳え立っている訳ではない。最高峰の大清峰(1708m)を始め、飛竜峰、香炉峰などの1000m級の山々からなる連峰の総称なのだ。見所を全部回るには、フル装備で1週間くらいかかるらしい。 麓の旅館街には何十軒も旅館があって、秋の行楽シーズンだったので混雑していたが、客引きに出てる番頭さんも多くて、宿探しに苦労はしなかった。 連峰を見渡す一番良いところは蔚山厳のてっぺんだという。腹ごしらえをしてから、さっそく行ってみる。山道を行くと神興寺という7世紀開基の寺がある。そこから蔚山厳はこちら、という看板に従って北側に入って登って行くと、継祖庵という半分洞窟状の寺がある。蔚山厳はその寺の背後なのだが、これが標高800mくらいの垂直な岩山なのだ。 げっ、どうやって登るんだよ、こんな岩山。オレはロッククライマーとちゃうぞ、と思いながら近づいてみるとちゃんと鉄梯子が取り付けてあるではないか。 ひーこら言いながら500mくらい登って、てっぺんに着いた。一緒になった見ず知らずの韓国人達と手を取り合って喜んだ。汗びっしょりの体に冷たい風が心地よかった。さして広くない頂上であたりを見まわしてみるとこれがすんばらしかった。紅葉してる山々がすぐそばに聳え立ち、はるか眼下には渓流が流れ・・・ 登山家の気持ちが分かりましたですよ。そこから日本海がみえたかどうか記憶にない。そのくらい、山々にみとれていた。 若いうちに登っておいてよかったですよ。今、雪岳山を再訪したとしても、下から見上げるだけだろう。体重は増えてるし、筋力は衰えてるし、6000ccあった肺活量も4500ccに落ちてるし・・・ しばらくそこにいて、寒くなってきたので、下りることにした。笑い始めた膝を押さえながら下に着き、渓流沿いの茶店で栗の豆腐を食ったり、コーラを飲んだりしながら旅館に帰るともう夕方だった。秋の日はつるべ落とし。 夕食後、部屋でゴロゴロしてると、見知らぬおじさんがやってきた。アメリカ人が泊まってると思い、宿の者に聞いたら、お前、日本人なんだってなあ。オレ達の部屋に遊びにこいよ、と言う。 そういうお誘いにはすぐ乗る私。ホイホイと行きました。割と大きな部屋に、町内旅行という雰囲気の中年の夫婦が5組ほどいた。 日本語をしゃべるのは何十年ぶりだわい、てな感じで、スルメやら、りんごやら、真露やら、マッカリやらをごちそうになりながら、色々な話をして、思わぬ楽しい時を過ごした。 話は当然、日本統治時代のことにも及んだ。別にウラミツラミを私にぶつけるという訳ではない。ただの思い出話。日本の憲兵は偉い、と言う。立場上、一番恨まれているのが分かっているのに、どこで襲撃されるか分からないのに、いつもたった一人で馬に乗って、背筋をピンと伸ばして、市中を見回っていた、と言う。敵ながらあっぱれと思った、と言う。 そんな話をしてるうちに夜も更けたので、私はお礼を言って部屋に帰った。昼の「登山」の疲れと酔いでバタンキュー。 さあ、明日は午前中もう少し山遊びをして、午後からはいよいよソウルにいくぞ。 では、では。 あ、そうそう。浦和の加藤さん、お帰りなさい。土産話はまだかなー |
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