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セピア色の韓国2 -----Original Message----- どちらさまも、あけましておめでとうございます。 きのうの元日は、夕方から車で15分ほどのヨメハンの実家へ行って、そちらの家族7人と私の家族6人の合計13人で大宴会をやってました。肉も刺身も毛がにも寿司も酒も、当分見たくない。(うそつけ) おとといの奇抜衣装大会の紅白は最後の1時間くらい見ました。小林幸子の緑のコスチュームの下から現れたあのドッキリコスチューム、良かったですね。とても同年代のおばさんとは思えないラインでしたね。NHKがあんなの映してええんかいな。わたしゃ、嬉しかったけど。 浦和の加藤さん、北京レポ、楽しみにしてます。私は9月の北京しか行ったこと無いけど、1月2月の北京は零下20度くらいに冷え込むことはちっとも珍しくないはずです。しっかり、モモヒキはいて行ってください。高校時代、伊達男の同級生が伊達の薄着で、一冬モモヒキなしで通し、次の冬から神経痛で医者通いしてました。加藤さんは、お肉はそんなに厚くついてる方ではないと勝手に想像しますので、防寒対策は万全に。 片山さんの「地方のロシア」シリーズも期待してます。 さて、昭和45年11月初めの釜山。 翌朝も快晴だった。慶州へは、高速バスにのって、開通したばかりの高速道路を通って行ってみることにした。旅館の人に教えてもらったバスターミナルへの道を歩いて行くと、昨夜のデートコースの竜頭山公園の上の、日本の方を睨んで立っている、韓国のネルソン、李舜臣提督の銅像が朝日を浴びているのが見えた。 ネルソンは数々の海戦で、右目、右腕を失い、最後にトラファルガー海戦で戦死し、ロンドンのトラファルガー広場に銅像となって立っている。右目右腕を失ってからも、ネルソンは女性の方もなかなか発展家であったようだ。英雄色を好む。我もまた色を好む。ゆえに、我は・・・なにを正月からあほな三段論法を。 李舜臣の方は、私同様、謹厳実直で女癖は悪くなかったようだ。あれだけの手柄を立てたので、国王の覚えが目出度く、謹厳実直な性格も災いして、文官からそねまれ、色々とひどい目にあったらしい。中華文明圏では、武官の地位は低い。李舜臣のような武官なくしては、国の存立すらあやういのに。蛇足だが、李朝時代、臣下は国王のことを「殿下」と呼んだ。「陛下」といえば、それは北京の明国皇帝か、清国皇帝のことをさした。 《竜頭山公園の李舜臣提督の銅像。》
李舜臣が戦死したのは、露梁海戦でだが、あの時点では、日本側は秀吉が死んだので撤退することを既に決めていたのだから、あえて海戦を挑んで戦死することなかったのになぁ。日本側の情勢分析を誤ったのかなぁ。 この翌年の昭和46年のことだが、私は李舜臣の故郷にある彼の墓に行ってみた。墓というよりは廟だが(確か、忠烈廟とか言ったなぁ)、ソウルから高速道路で2時間ほど南下したところ。正確な地名は忘れた。建物や構築物は最近のものだったが、塀を回して門を構えた、広々としたかなり立派な廟だった。写真撮影禁止、笑い声禁止、と非常に厳粛なところだった。博物館も併設されていて、秀吉の軍から分捕った刀や槍、鉄砲など、それに亀甲船の模型などが陳列されており、なかなか見ごたえがあった。 またしても、脱線、脱線。と言うわけで、バスターミナルからバスに乗ってみると、これがベンツ。バスとはいえ、ベンツに乗るのはこれが初めてだ。 ベンツバスは釜山市街を抜けて、田園地帯を走る。窓から見る田園風景は青森となんぼも変わらん。ただ、車よりも牛や馬のほうが多いだけだ。民家の塀の内側にはドラム缶サイズのカメが沢山並んでる。キムチ用だろう。 周りの乗客の話し声や、バスのラジオから流れてくる言葉は、意味は分からないけど、イントネーションは津軽弁にそっくり。全然、外国に来た感じがしない。むしろ、子供のころの津軽にタイムスリップしたような気がしてならない。 「初めてなのに、なつかしい」これは10年くらい前の大韓航空の日本でのテレビCMのフレーズだが、ほんと、初めてなのに、なつかしかった。 約2時間ほどで慶州に着いた。李舜臣の話をしてるうちに長くなってしまったので慶州の街や遺跡の話は、またこの次ということで・・・ では、では。 |
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