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セピア色の韓国1

-----Original Message-----
差出人 : 石田 隆章 <appleish@infoaomori.ne.jp>
宛先 : igkfree@ml3.people.or.jp <igkfree@ml3.people.or.jp>
日時 : 1998年12月31日 0:57
件名 : セピア色の韓国 1
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おばんです、弘前の石田です。

やっと御用納めです。兼業で多少の商売もやっとるもんですから、今日の午後3時まで、要するに銀行の窓口が閉まるまで、何かと用があるんです。

明日から4連休。休みでも何かと用はあるんですが、お客にせっつかれるという強迫観念(?)から開放されるだけでも、ほっとしますね。

で、韓国租界のみなさん、この正月は久しぶりに韓国ネタでいきませんか?

こないだは最新のソウル情報でしたので、今回は約30年前の韓国の様子を思いだし、思いだし、書いてみたいと思います。ズッコケ道中記、適当に読み飛ばしてください。

昭和45年、大阪で万博がありましたですよね。私は東京で大学生やってました。専修大学です。そう、あのニットウコマセンのセンです。商学部でした。

親父の商売の取引先が京都にあり、その会社は北海道から九州まで広く取引先があって、遠隔地からの来訪者のための宿泊施設を持っています。後に私はその会社でサラリーマンをやることになるのですが、このときはそんなこと思いもしなかった。

春休み、私はその施設に只で泊めてもらい、1週間かけて全てのパビリオンを回りました。開会直後で、まだ1日の入場者数が10万人か15万人の頃なので、さして並びもせず、楽に見れました。

感激しましたね。「ああ、世界にはこんなに沢山の国、こんなに沢山の文化、こんなに沢山の生活様式があるのか! よぉし、いつの日にか、この国々を巡って実際にこの目で見てやろう!」と、決めましたね。未だに10分の1も実行できてないけど。

で、夏休みにバイトで少々のカネを作り、まずは手始めに一番近い国、隣の韓国へ行くことにしました。

11月の初め、中間試験を終えた翌日、私は羽田空港へ行き、スカイメイトで福岡へ飛んだ。この料金が約5000円。そこから釜山へと飛んだ。距離は東京福岡間の3分の1くらいなのに、料金は約7000円。国際線はスカイメイトが使えないからやむをえん。都合、東京から釜山まで片道約12000円。観光客用のホテルなんかには泊まらず、地元の人が使う普通の韓式旅館に泊まったから、1泊2食つきで500円か600円。結局、1週間の旅行で3万円くらいで済んじゃった。

当時の釜山市の中心部。
《当時の釜山市の中心部。隔世の感があります。》

福岡からは40分かそこらで釜山に着いてしまう。釜山空港に向かって高度を下げてゆくと、民家が立ち並び、道路があって、車が走ってるのが見えるじゃないですか。感激しましたね。「ああ、外国ってほんとにあるんだ!」別に地理の教科書を疑ってた訳じゃないけど、実際この目で見るインパクトは大きかったですね。

飛行機がターミナル前で止まって、機外に降りた時はまたまた感激しましたね。「ああ、いまオレの足が踏んでるこの地面は、北京からモスクワからニューデリーからパリからベルリンからローマからマドリッドまで、ずーっと地続きなんだ! その気になれば歩いても行けるんだ!」そう思うと身が震えるほど感動しましたね。ローマ法王じゃないけど、ひざまづいて地面のコンクリートに接吻したかったですよ。 (異常かな、オレ)

ターミナルへ入ってみると、「なんじゃい、青森空港となんぼも変わらんのぉ」という感じのローカルぶりだった。今の近代的な釜山空港からは、想像もできん。

入国手続きを終えて、ロビーに出る。まずは、今日の宿を確保せねば。見回すと、一角にインフォメーションカウンターがある。中には、女性が2、3人ヒマそうにしている。ここに安宿の紹介を頼もう。近づいてみると、その内の一人はかなり美しいではないか。品があるし、立ち居振舞いもなかなかに優雅である。

このような女性を見かけて、お近づきになる努力を怠るということは犯罪である。刑法265条。話しかけてみると、英語は得意だが、日本語はダメ。つまり、日本人客担当ではない。日本人客担当はあちらと言う。しかし、ニッポンの大学生はそんなことではメゲない。勉学ではすぐメゲるけど。

苦闘30分、世間話したり、笑わせたりしながら、がんばってるうちに、彼女、とうとう苦笑しながら、今夜の食事の約束に応じてくれた。よおしよし、まずは上々のスタートだぞ。路線バスで釜山市内へと向かう。

彼女(名前はSさんという)が紹介してくれた旅館は、繁華街である光復洞のすぐそばで、結構立派な旅館だった。しかも、安い。

市内を見物して時間を過ごし、夕方約束の場所で彼女とおちあう。彼女が案内してくれたレストランは釜山会館といって、韓式レストランである。本場の韓国料理がいかにおいしいか、私はここで知ることとなった。

食事の後は彼女の案内で、繁華街を歩きながら、竜頭山公園へと登った。この公園は小高い丘になっていて、釜山の街や港の夜景がすばらしい。今の釜山の街は高層ビルが林立しているので、この公園は目立たなくなってしまっているが、当時は絶好のデートコースだった。

天気は良かったし、星はまたたいてるし、ああ、ロマンチックだなぁ。この際、釜山の夜は巫山の夜に ・・・ なんてことは私は考えません。これでもジェントルマンですから。手も握ってません。肩を抱きよせるくらいのもんです。

彼女は、あるお嬢さん大学の英文科の学生で、インフォメーションはバイトでやっていたのでした。年は私と同じ。お父さんは某大学の教授で、弟は医学部の学生という、エリート一家でした。決してふしだらに外国の学生の誘いに乗るような人ではないのです。ただ、そのようなインテリ一家なので、いい意味で進取的な気風のある一家でした。

初めての出会いから2、3年後に、彼女の自宅に招待されて遊びに行ったことがありますが、品と、凛とした風のある家でした。お母さんもなかなか美しく、しっかりした人でした。我が家よりは余程しっかりした家庭でしたね。

という訳で、あまり遅くならない内に再会を約して彼女を返し、私は旅館に帰ってバタンキュー。なんでい、つまんねえ、と言わないで下さい。翌日は早起きして、慶州へ行く予定なんですよ。

では、慶州の話は、またこの次ということで。

どちらさまも、良いお年を。